山崎日语--高考日语班课程
面议发布时间: 2019-11-26 19:55:04
今天小编为大家带来一篇日本小说,《人间失格》之日语之声。里面的内容令人深思,会让人不自由的把作者与自己的命运结合起来,希望给大家带来一些不一样的感受。
なんだ、人間への不信を言っているのか?へえ?お前はいつクリスチャンになったんだい、と嘲笑する人も或いはあるかも知れませんが、しかし、人間への不信は、必ずしもすぐに宗教の道に通じているとは限らないと、自分には思われるのですけど。
什么嘛,你说你不相信他人?嗯?你什么时候成了?或许有人会这么嘲笑。我倒是觉得,对人产生的不信任未必马上通往宗教之途。
現にその嘲笑する人をも含めて、人間は、お互いの不信の中で、エホバも何も念頭に置かず、平気で生きているではありませんか。やはり、自分の幼少の頃の事でありましたが、父の属していた或る政党の有名人が、この町に演説に来て、自分は下男たちに連れられて劇場に聞きに行きました。
实际上包括那些嘲笑我的人在内,人不都是处在相互不信任中,根本没把和其他什么放在心上,无动于衷地活着吗?这是发生在我小时候的事了,父亲所属政党的一个名人来镇上演讲,男仆们带我一起去听。
満員で、そうして、この町の特に父と親しくしている人たちの顔は皆、見えて、大いに拍手などしていました。演説がすんで、聴衆は雪の夜道を三々五々かたまって家路に就き、クソミソに今夜の演説会の悪口を言っているのでした。中には、父と特に親しい人の声もまじっていました。父の開会の辞も下手、れいの有名人の演説も何が何やら、わけがわからぬ、とその所謂父の「同志たち」が怒声に似た口調で言っているのです。
全场座无虚席,还看得到镇上尤其是和父亲要好的几个人一个劲地鼓掌。演讲结束后,听众们三五成群踏着夜幕下的雪路回家时,把今晚的演讲说得一文不值。这其中还夹杂着和父亲特别要好的人的声音。这些父亲所谓的“知己们”以近乎发怒的语气抱怨父亲的开幕致辞很糟糕,那位名人的演讲也前言不搭后语,完全不知所云。
そうしてそのひとたちは、自分の家に立ち寄って客間に上り込み、今夜の演説会は*功だったと、しんから嬉しそうな顔をして父に言っていました。下男たちまで、今夜の演説会はどうだったと母に聞かれ、とても面白かった、と言ってけろりとしているのです。演説会ほど面白くないものはない、と帰る途々、下男たちが嘆き合っていたのです。
随后这些人路过我家进入客厅访问时,摆出一副由衷兴奋的神情,对父亲说今晚的演讲非常成功。就连男仆们被母亲问及今晚的演讲怎么样时,都若无其事地说有趣极了。明明在回家路上时,他们还相互感叹道再没有比今晚的演讲更无聊的了。
しかし、こんなのは、ほんのささやかな一例に過ぎません。互いにあざむき合って、しかもいずれも不思議に何の傷もつかず、あざむき合っている事にさえ気がついていないみたいな、実にあざやかな、それこそ清く明るくほがらかな不信の例が、人間の生活に充満しているように思われます。
而这只不过是一个稀松平常的例子。相互欺骗且无论哪一方都不可思议地毫发无损,甚至就连相互欺骗一事都未有察觉一般,鲜活干脆、光明磊落而巧妙的不信任的事例,我觉得这在人们的生活中随处可见。
けれども、自分には、あざむき合っているという事には、さして特別の興味もありません。自分だって、お道化に依って、朝から晩まで人間をあざむいているのです。自分は、修身教科書的な正義とか何とかいう道徳には、あまり関心を持てないのです。自分には、あざむき合っていながら、清く明るく朗らかに生きている、或いは生き得る自信を持っているみたいな人間が難解なのです。
但我对相互欺骗提不起什么兴趣。我倒是常常取悦他人,借此从早到晚欺骗着人们。我不太关心修身教科书式的正义等这样那样的道德。相互欺骗却能光明磊落、洒脱地活着,或者拥有能够活下去的自信那样的人,在我看来是难以理解的。
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